ナナ公の独り言

都内在住既婚会社員女の日記です

1月雑感

【関西の芸人の東京進出の影響】
 ヤフーの知恵袋で「うちの旦那について質問します」という質問文に対して
 「自分の夫のことを旦那さん、と呼ぶのは間違っている」
 「夫を旦那さんと呼ぶなんてどんだけあがめてるの?」
 などの回答文を見た。
 確かに正しくは「旦那様」とは奉公人が雇い主に対して言う言葉だし、
 これを夫婦関係で使うと、男尊女卑風に、
 あるいはラブラブ自慢風に言ってるように聞こえなくもない。
 専業主婦叩きが横行している知恵袋では、
 「主婦も立派な仕事!年収に換算したら対等!卑屈になってるみたいな言い方やめよう!」
 などと言い出すムキになった専業主婦もいる。
 でも、自分の配偶者をちょっと上に言うことで、相手を大事にしている、もしくは皮肉っぽく呼称する、
 というだけのことであり、そんなにめくじらたてることだろうか?と私は思うのだ。
 しかし、そういえば最近聞いてない言葉がある。それは「カミさん」。
 もともと関東では、妻のことを「うちのカミさん」「おまえのカミさん」と言っていた。
 いつの頃か、基本呼称は「うちの嫁」「おまえの嫁さん」「○○は俺の嫁」になっている。
 「旦那」の対義語が「嫁」になっているようだ。
 「カミさん」はもちろん語源は「お上」。旦那様よりはるかに上の立場である。 
 「旦那」の対義語は「カミさん」だし、「嫁」の対義語は「婿」。
  ついでに「ご主人様」に対する言葉は「奥様」だ。「うちの主人」の対は「うちの家内」。
 まあ、戸籍制度が変わって家に入る結婚ではなくなった現在、
 嫁も婿も法律上は存在しないのだが、
 相手の苗字で届けたほうがそのように呼ばれる、という定義でいえば、嫁も婿もアリだと思う。
 さて、本題です。
 最近は「旦那」と「嫁」の組み合わせが多い。私はこれは、上方芸人の影響だと考えている。
 テレビなどで、プライベートの話をするのは圧倒的に芸人であり、
 政治家やスポーツ選手、俳優やアイドルなどはまずしない。
 芸人はやはり大阪がスタンダードな部分はあり、特に関西の芸人ほど家庭の話をするように思う。
 ここ10年ほど「旦那」と「嫁」の呼称を皆がするようになったのは、
 彼らの影響ではないだろうか。彼らは「俺も旦那として・・・」とか「うちの嫁が・・・」と話す。
 これが例えば、東京の芸人だと「うちのカミさんがさ」と話している。
 相手に対して頭が上がらない感じを出しているわけだ。
 東京の芸人は、かかあ天下がウリであり、
 上方芸人は、芸人の嫁になったからには飲む打つ買うは我慢しろ芸の肥やしだ、が根本にあるのだろう。
 ちなみにウチは、ヨソサマに話すとき、基本は「夫」「妻」です。
 夫は私のことを「うちの妻です」と紹介し、ネットでも「妻が」と書いている。
 しかし「妻が寝坊した」「妻が風呂に入らない」「太った妻」などの侮辱を書いていることが多いので、
 嫁だろうが妻だろうがカミさんだろうが、そこは関係ないのです。ちくしょう。
 そしてヨソの夫婦がお互いにどう呼ぼうと、どうでもいいです。
 ただ「カミさん」という言葉の存在を書いておきたかっただけ。
 「旦那と嫁」にお怒りの皆様、「カミさん」という言葉をお忘れではないですか。
 「カミさん」も夫婦対等ではない言葉だと思いますけどね。
 関東スタンダードは「うちのカミさん」と「うちのボンクラ」だったと思います。
 「旦那」と「嫁」に負けず劣らず愛情あふれる言い回しだと思います。
 
フェイスブックが信用の基本に】
 年末にフェイスブックをはじめた私だが、早速放置している。
 しかし良いのだ。フェイスブックは履歴書であり、私書箱に過ぎない。
 年末から私の環境は変化していない。
 変わらず赤坂に住み汐留に勤務し子供は出来ず離婚もしていない。
 なので追記することもない。たまに受信箱をチェックするくらいなものだ。
 ところで最近、ネットの口コミサイトのやらせ問題事件のニュースを見た。
 以前からあれらの信憑性は疑わしく思っており、私は美容院やネイルサロンはミクシィのコミュで探していた。
 ミクシィは個人のページと連動しているので、悪質な嘘は書けないものだ。
 やらせ専用のIDなんて個人ページのトップを見ればすぐわかる。
 しかし、映画や本やゲームのレビューなどにはあまり役に立たない。
 なぜなら、ミクシィのコミュは基本的にその対象物が好きな人で出来ているからだ。
 ファンの一人が管理者で、ネガティブな意見が少なく、公平性に欠けがちである。
 かといって、いわゆる口コミサイトは、今回のニュースを待つまでもなく、
 そこに嘘は存在していることは、周知の事実だったはずだ。ポジティブな嘘も含めて。
 今回はそれで商売していることが問題なだけに過ぎない。 
 さて、そこでフェイスブックの登場だ。
 ミクシィが発言者の特定をしているように、
 口コミサイトに書かれている意見の信憑性として、フェイスブックと連動させればいいと思う。
 よくネットは匿名だから言いたい放題と言われるが、
 ならば個人情報を出して堂々発言すればいいではないか。
 特に評価が売り買いされるようなサイトでは重要なことだと思う。
 もちろん匿名のまま評価したい人もいるだろう。私もそうです。
 なので、そういう人もこれまでどおり発言していてかまわない。
 ただ、フェイスブックに紐付けされてない発言の場合は、
 読んだ側も騙されても仕方ないと覚悟しておくだけのこと。情報リテラシーの話になるだけだ。
 また、身元を隠して発言している以上、掲示板や口コミサイトなどの場である程度舐められていても仕方ない。
 それがこれからのインターネット社会になると予想する。
 
【動物の深夜販売の禁止】
 上記のニュースを見た。これは数年前から時々このブログでも書いていたことだが、一言。
 バンザーーーーーイッ!!!
 夜、煌々と灯りのついたペット屋の前を通るたび、心が痛み、そのような店を憎んできました。
 私の呪いが形になったのでとても嬉しい。
 もう、カレーとコーヒーの店を経営する夢は捨てました。
 
【絶対に未来は今より素晴らしいのに】
 「三丁目の夕日’64」を観た。三作目だ。夫は感動していたが私は前二作ほどの感動はなかった。
 それよりもプログラムに書いてあった出演者の一人、
 三浦友和のインタビュー記事で印象に残った言葉があった。
 「この映画は、理想の昭和30年代。いいところだけを描いています。
 実際は治安も悪く酷い部分もたくさんあった。でもそれは同じ年代を描いた他の作品に任せていますから」
 そのとおりだと思う。
 最近、20歳前後の若者の「バブルの頃の人たちが食いつぶした」とか
 「今の時代は最悪だ」とか聞くことがある。
 でもね。
 80年代後半、私は学生だったが、2010年代の今の方が遥かに恵まれている。
 今の若者の方がずっと便利で快適でよい暮らしをしている。
 ここ10年ばかり時代はフラットだ。成長していない。だからわからないのだろう。
 私は、そう例えば電話1つとっても、黒電話の頃生まれて、小学生のときにプッシュホンになり、
 中学で留守番電話がつき、高校で子機ができ、大学でファックス付きになり、車に搭載型の移動電話ができ、
 社会人になってから携帯電話が出来た。
 その携帯電話も最初は電話番号は4つまでしか登録できなかった。
 やがてデジタル画面ができ、後付でカメラをつなげるようになり、
 メールができ、そしてついにインターネットができ、パケ放題システムができ、
 今ではお財布になり定期になりGPSがつき、ゲームも楽しめ、タッチパネルになり・・・
 もっと顕著なのはトイレです。
 私はこの40年の人生で、
 汲み取り式→水洗和式→水洗洋式→お尻が洗えるトイレ→便座が暖かいトイレ→勝手に流してくれるトイレ
 という順番で、排便を繰り返してきました。
 最近のトイレはどこも清潔で快適で、ここ数年私は便秘知らず。膀胱炎も20年以上なっていません。
 あとは言うまでもないが、生活に対する文句?理不尽さについて。
 80年代は普通に諦めていたことが、今ではクレームの対象だ。
 銀行の統合でふたつの口座がひとつになり、給料振込みや引き落としで面倒な思いをした先輩がいる。
 当時の銀行の統合は、明らかに銀行の経営失敗が原因であり、
 そのことで利用者が大変な目にあった。
 でも。
 それは皆、ぶつぶつ言いながらも我慢し従い、それが社会問題になったりはしなかった。
 今ならどうか。
 ツイッターで若者たちはつぶやくだろう。「自分たちが勝手に失敗しといてこっちに迷惑かけるな」と。
 確かにバブルの頃は今より良い点はあった。ひとつだけ。
 それは皆が日本に満足していたこと。
 貿易黒字国であり、治安に優れたこの国に生まれてラッキーだと思っていたこと。
 ま、それだけでもやはり良い時代だったのだろう。
 そういう意味では、その20年前である昭和30年代も、これからもっと良くなるんだ!
 という明るい希望に満ちていたと言う意味では今より良かったのかもしれない。
 でもなあ。今が、今こそが、この2012年が一番快適で便利なときなのに、
 なぜそう思えなくなっちゃったんだろうか。なんて書いてるけど、私だって心は暗い。やれやれ。
 まあ、私の場合は単に加齢現象かもしれません。
 現在、未来と過去がちょうど半分ずつだと思うし、未来だけに期待する年齢じゃないので。
 
【24時間戦えますか】
 上の雑感文にちなんでると言えなくもないが、
 ここ数年でこの国の経済?社会?は激変したと思う。
 今、自分のいる部署では新プロジェクトを進めているのだが、
 その中で強く出てくるのが、Webだ。このブログも参加しているインターネットだ。
 つくづくこのインターネットで、人類の歴史は一変したと思う。
 買い物もおしゃべりもゲームも、いわゆる娯楽や消費は真夜中でもできるようになった。
 数年前から24時間テレビを観るたび感動がなくなったことには気づいていたが、
 それは、偽善だとか飽きたとかではなく、単に今は夜中に番組がついてるのは当たり前だからだ。
 私が子供の頃は11時過ぎると砂の嵐になる局も多かった。
 夜は寝るものだった。それが今や、
 コンビニをはじめとする24時間対応してくれる飲食店や娯楽施設(うちは映画はほぼ夜中に行く)、
 家の中でも、テレビやパソコンなど人々は24時間遊んでいられる。
 セブンイレブンの名前の由来が、
 朝の7時から夜の11時まで開いてる画期的なお店だよという意味だと知っている人はどのくらいいるだろうか。
 今は娯楽関係だけだが、もはや仕事もそうなるだろう。
 もちろん今でも夜中まで会社にいることは多い。私のような人間でもそうだ。
 そうではなく、そもそも出勤しない時代が来ると言うこと。以前から予想されていたし、
 星新一のSFでは50年も前から描かれていることだが、その時代はもう目の前だ。来年かも。
 もう出勤という概念はなくなる。東京一極集中もなくなる。
 昨日、東京本社で札幌支社のテレビ会議に参加しながら思った。
 しかしそうなると打撃を受けるのは、スーツ業界とメイク業界だと思うな。着飾る必要なくなるし。
 そして需要があるのは、眠らなくても健康でいられる薬。ドラえもんの秘密道具に確かありました。
 
【大地震
 首都圏内に大地震の来る確率は4年以内に70パーセントだそうだ。
 30パーセントはこないわけだが、私なりにいろいろ考えてみる。この国の一番偉い人のつもりで。
 もしこれが100年以上前なら、すぐに戦争だ。地震の来ない土地を攻めて奪う。
 もしこれが100年後なら、すぐに脱出だ。地震の来ない宇宙ステーションに引越しだ。
 でも、ここ数年でできる対策は?
 やはり自給自炊かもしれません。
 ひとつひとつの家が核シェルター的な機能を持つようにすること。
 家に自家発電や水の浄化システム、ラジオ等の情報源が備え付けになっているのが良いのではないか。
 トイレや風呂のようにそういう部屋の設置義務を法律で決めてしまうのだ。
 2015年以降に建築される建物にはそれが義務付けされること。
 非常袋ではなく非常部屋の設置。できれば小さな菜園もあるといいな。