ナナ公の独り言

都内在住既婚会社員女の日記です

3月雑感

【Z氏のこと】
 同じマンションにとても嫌なやつがいる。しかしそのことは書くまい。
 突然だが私がこのブログを書くわけ。
 それは、自分が長生きしないと思っているからです。
 そして年下の夫が、一人残されたとき、このブログを読み返すこともあろうかと思うからです。
 なので、辛いこと悲しいことはなるべく書かないようにしています。
 彼との日々が幸せだったと、伝えてあげたいからです。
 私がもし父母より先に逝った場合、父母にも、娘は幸せだったと覚えていてほしいからです。
 しかしながら、同じマンションのZ氏。嫌なやつです。きーっ。
 
【ただちに】
 もう一年。まだ一年。やっと戦後60年という意味が分かった。
 ただちに影響ない・・・と去年の春はよく聞かれたが、あのときはそれしかなかった。
 その言葉「ただちに」に文句つけている人もネットでよく見た。
 彼らは、ただちに困っていなかったのだろう。被災地以外だったのかもしれない。
 被災地は、ただちに困っていた。今日の命の保証がなかった。
 去年は、ただちに危険な人の救済が急務だった。
 政府に文句つけることは簡単だ。
 でも私は、この国の政府体系は、かなり優秀だと思う。
 非常時に平常時と変わらない生活を要望する国民のほうがおかしいのだと思う。 
 しかし、もう一年たった。
 日本はもっと優秀で魂の強い国なはずだ。豊かな自然も最先端のテクノロジーも誇りに思う。
 そろそろ、ただちに次へ行ってください。 
 
【マヤの予言】
 今年の12月、人類は滅亡だとか、次のステージにいくとか、いう話ですが、
 私はこう予想しています。
 死後の世界がわかる。
 当然これしかないでしょう。人類の価値観が変わることといえば。
 終末医療が変わるのは当然として、生き方が変わる。命の意味、人生の意味が変わる。
 ちなみに私は、以前「ナナ公のつくり話」書庫で書いたように、
 人の頭の上には、見えない自分が浮かんでいて、それは心の在り様を映し出した姿で、
 死んだらその体に魂が移って、その姿に似合う次の生があると思っています。
 事故で足がなくなったらもう歩けないように、
 本当は心も傷ついたら戻らない。
 生まれたばかりのときは、頭の上の自分も、本体も全く同じ姿ですが、
 成長していくうちに頭の上の自分の姿はものすごく変わると思う。
 身内の死など大きな喪失感を感じたら、頭の上の自分の足はなくなると思う。
 でも一生懸命生きようとすれば、頭の上の自分の背中に羽根が生えてくる。
 歩けなくなるけど飛べるようになる。
 もし頭の上の自分の目が見えなくなっても頑張り続ければきっと触覚が生える。
 心を閉ざして孤高に生きれば、甲冑に包まれた騎士になるかもしれない。
 浅ましく生きれば、醜い蛆虫になっていくだろう。
 物言わぬ花や木の姿に変わっている人もいるかもしれない。
 今現在、私の頭の上の私の姿はどうなってるだろうか。
 今年の冬には、それが全ての人の目に見えるようになる、というのが私の持論です。