ナナ公の独り言

都内在住既婚会社員女の日記です

旅人と五人の姫君

ある深い深い森の一番奥に、古いお城がありました。お城には年とった醜い魔女が住んでいました。

ある日お城に一人の旅人が迷い込んできました。
魔女は、疲れ果てた旅人にたっぷりの食事を与えもてなしました。

「ありがとうございます。大変たすかりました。
ところで、この森を出たいのですが、道を教えていただけませんか」

旅人が聞くと、魔女はしわがれ声で言いました。

「森を出るどころか、一人ではおまえさんはこの城を出ることもできまいよ。
 この城には呪いがかかっておっての、一人きりでこの城を出ていくことはできないのじゃ」

「ど、どうしたらよいのでしょう」

と、その時、旅人は、人の気配を背中に感じ思わず振り返りました。
するとそこにはきらびやかなドレスを着た、若い女性が五人、いつのまにか立っていました。

「わしが世界中からさらってきた姫たちじゃ。
 一人連れて二人で出るが良いぞ。妻にするがええ。愛し合う者たちに、呪いは効かぬ」

旅人は思ってもない言葉に、大変驚きましたが、一人の姫を指さして答えました。

「この方がいいです」

その姫は五人のなかでも、とびぬけて美しい姫でした。
朝の光のように輝く黄金の髪が、姫のほっそりした腰まで届き、夏の空の色の大きな瞳を縁どる睫が、薔薇色の頬に長い影をおとしていました。

「よいじゃろう。その姫は世界で一番綺麗な姫じゃよ。馬車の用意をさせるでの、しばらく二人で庭でも散歩してくるがええ」

旅人と美しい姫は、城の庭園にしつらえてある噴水のほうへ行きました。
旅人と姫は噴水のふちに並んで座りました。姫が噴水の水面をじっと見つめてため息をつきました。

「なにを見ているんですか?」

旅人が優しく訊ねると、姫はもう一度大きなため息をついて答えました。

「水にわたくしが映っておりますの」

そしてあれこれ角度を変えて自分の顔を覗き込み、満足そうにため息をつきます。
旅人がいくら話しかけても返事をしません。旅人はそこに姫を残して、城に戻りました。

「どうしたのじゃ」

魔女が、渋い顔をして戻ってきた旅人に訊ねました。

「申し訳ないんですが、他の姫に変えてもいいでしょうか」

旅人がそう言うと、魔女は肯いて言いました。

「かまわんよ。どの姫が良いのじゃ?」

旅人は残った四人をぐるっと眺め回しました。
一人、きっ、と見つめ返してきたまなざしの強い姫がいて、旅人は、

「ではこの方にしたいと思います」

と言いました。

「よかろう。その姫は武芸の達人じゃ。城の武芸場で、手合わせでもして待ってるが良かろう」

姫と旅人は、城の武芸場に向かいました。
姫はかたかた靴音を響かせて、旅人の前を走るような勢いで進みました。よく見ると姫は、鋼でできた乗馬靴のような靴を履いていました。きらきらと光って見えたドレスも、鋼でできた特別製の鎧なのでした。
旅人はだんだん姫の歩く早さから遅れていき、

「待ってください。もう少しゆっくり歩いてください」

と、呼びかけましたが、姫は大股で振り返りもせず、やがて、長い廊下の向こうに姫の姿勢の良い背中が消えていきました。

さっきより渋い顔で戻ってきた旅人に、魔女が面白そうに声をかけました。

「これはまたどうしたのじゃ」

「ほんとに失礼なんですけど、他の姫がいいのです」

「ああいいとも。選びなされ」

旅人は魔女に言いました。

「一番優しい方がいいのです」

魔女は一番小さな姫を指さし言いました。

「では、その姫じゃ。優しく繊細な心の持ち主じゃ」

旅人は、その決して目を合わせようとしない姫と、城の温室に入ってみました。
魔女の城の温室だけあって、ありとあらゆる季節の花が地平線が霞むほど咲き乱れており、素晴らしい眺めでした。

「これは見事なものですね。真っ青なチューリップなんて初めて見ましたよ。
 ああ、あそこを見てください。なんて大輪の向日葵だろう。
 しかし、この血のような薔薇にこそ目を奪われるものもないですね」

旅人が姫に話しかけると、驚いたことに姫は、翡翠のきらめきを持つ新緑の瞳から大粒の涙を流していました。

「どうなさったのですか?」

「花たちが可哀想で。他の花と比べられて」

「いや、そんな、どの花もびっくりするほど美しい……あっ、どうしました?」

突然姫がしゃがみこんで顔を覆ったので、旅人は驚きました。
姫が、絹の手袋に包まれた指を震わせながら、地面を指さしました。
旅人が目をやると、蟻が行列して、死んだ蝉を運んでいました。

「ああなんて可哀想な蝉なの!」

姫は激しく嗚咽しています。そして、旅人を涙に濡れた瞳で見上げると、言いました。

「ごめんなさい。わたくし、今日は結婚できませんわ。この蝉のお葬式をしなければ!
どうか、他の姫君をお選びになってください」

「そうしましょう」

旅人は、きびすを返し、城の中に戻りました。

「すみません、わたしはこの姫にいたします」

旅人は魔女の前に出ると、そう言って、手前にいた姫の手をとりました。
魔女は笑いながら言いました。

「良い選択じゃ、その姫は賢いぞ。滅多に取り乱すことはない」

落ち葉の色の髪をした、その姫は旅人の手をにぎりかえし、

「では、わたくしの部屋で準備が調うのを待ちましょう」

と言って、広間から連れ出しました。

姫の部屋は、ぎっしりと壁一面が本で埋めつくされた、薄暗い部屋でした。
姫は、旅人の頭ほどもある分厚い本を取り出すと、一心不乱に読みはじめました。
いやな予感がした旅人が思ったとおり、いくら話しかけてもいっさい無視です。
怒った旅人が、本を取り上げると、姫はようやく顔をあげました。

「少し話をしませんか。あなたを連れて行こうとしている人間がどんな男なのか気にはならないのですか?」

詰め寄る旅人に、姫は無表情に答えました。

「あら、申し訳ありません。でも今とても興味深い調べ物をしている最中ですの。
お話はまたいつかにしましょう」

そして、旅人の手から本を取りあげて、開いたページに、静かな視線をおとしました。
旅人がそっと、部屋を出ていったのにも気がつきませんでした。

「残っているのはあと一人じゃが?」

魔女はおかしくてたまらないように口を押さえながら、旅人を待っていました。

「ええ、その方で結構です。もう多くは望みません。
お姫様っていうんだから、お金持ちでしょう?それだけでいいですよ」

ふてくされたように答える旅人に、魔女は手を打って叫びました。

「おお、ちょうどいい。この姫はこの世で一番の金持ちじゃ。姫の宝石のコレクションの素晴らしさときたら!」

と、それを聞いたたった一人残っていた姫が、ひっ、と小さく叫んで逃げ出しました。

「だめ!わたくしの物は誰にも触らせませんわ!お見せすることもいやですわ!」

ぱたぱたと足音が遠ざかり、遠くのほうでがしゃーんと重い錠前がかけられたような音が聞こえてくると、
旅人はがっくりと肩を落とし、大笑いしている魔女に言いました。

「お姫様たち以外にどなたかいらっしゃらないのですか?」

「おらぬ。おまえさんはどの姫も気に入らんかったようじゃな?みな秀でた娘だと思うがのう」

魔女はぴたりと笑いをやめ、恐ろしい調子で聞きました。旅人は、怯えながらも震える声で答えました。

「わたしは、わたしを愛してくれる人と一緒になりたいのです。お姫様でなくて良いのです」

すると突然魔女の体が、ぱあっとまぶしい光につつまれ、光の中から、一人の麗しい姫が出てきました。
驚いて腰を抜かした旅人に、その姫は美しい音楽のような声で言いました。

「わたくしの呪いを解いていただいてありがとうございます。
わたくしは、あまりに高慢なため罰を与えられていたのです。
あの姫たちは皆、わたくしの分身でございます。美しさや賢さではなく、
愛を求めてくれる方が現れた時、わたくしは許されることになっておりました」

旅人は、おそるおそる聞きました。

「では、この城の呪いも解けたのですか」

「はい。でもあなたはわたくしを妻にして、一緒に出ていくこともできましてよ」

「とんでもない!
 分身さんたちでさえ手に負えないのに、それが五倍だなんて!
 いやいや、わたしはまだまだ一人でおりますよ」

旅人はぶるんぶるん頭をふって断ると、早足で城を去りました。

その、美しく強く賢く優しく大金持ちの姫は、今もその森の奥に一人で住んでいるそうですから、
あなたがもし、会ってみたかったら行ってみるのもいいかもしれませんね。