ハット平田の思い出
去年のGWは、直前にぶっ倒れて、救急車で運ばれて緊急入院していたので、
今年のGWを待ち望んでいましたよ。
今年のGWを待ち望んでいましたよ。
でもなんにも予定いれてなくて、
ひたすら都内ウロウロする程度の遊びを計画しています。
ひたすら都内ウロウロする程度の遊びを計画しています。
初日の今日は、メガネと二人で午前中、部屋の大掃除・・・ってゆーか家具の移動しました。
GW明けからマンションの外壁補修工事がはじまるので、
ベランダのモノを全部撤去しなければならないのです。
ベランダのモノを全部撤去しなければならないのです。
なので、窓際にあったベッドを少し内側に。
この空き部分にベランダの物干しが入ります。ちなみに、奥の棚は、メガネが会社から持ってきたものです。
この空き部分にベランダの物干しが入ります。ちなみに、奥の棚は、メガネが会社から持ってきたものです。
偶然、この連休にメガネの会社も内装工事が入り、もともとメガネが結婚前の一人暮らしの時に使っていた、
渋谷に越してきた時に会社に持っていって書類いれていた棚を持って帰れと言われて、引き上げてきたのです。
とりあえず、ぬいぐるみを詰めてみました。
渋谷に越してきた時に会社に持っていって書類いれていた棚を持って帰れと言われて、引き上げてきたのです。
とりあえず、ぬいぐるみを詰めてみました。
手前の絨毯にちょっと四角い跡があるんですが、わかりますか?それが今までベッドのあった場所です。
50センチ程内側にベッドがきただけで、部屋がぐっと狭く感じます。ちェッ。
外壁補修工事が終わる8月までは、この位置なんだよね。ちェッ。
外壁補修工事が終わる8月までは、この位置なんだよね。ちェッ。
なんか結構有名みたい?
2時頃についたんですが、行列が出来ていて20分くらい待たされたよ。
2時頃についたんですが、行列が出来ていて20分くらい待たされたよ。
そんですっごく量が多かった。そんでナナ公にはあんまり美味しくなかった・・・ゴメンナサイ!
ナナ公って青葉もあんまり好きじゃないんです!!
ゴメンナサイゴメンナサイ!
ゴメンナサイゴメンナサイ!
永福町って、浜田山からバスが出てるんだよ。
浜田山も永福町も杉並区?だよね?
浜田山も永福町も杉並区?だよね?
ずいぶん昔に、浜田山に友人が妹と住んでいて、遊びにいったとき永福町行きのバスみたことある。
面白い女だったよ。
住んでるアパートが墓場の隣で、なんか突然取り壊しになる計画も浮上してて、そのせいで激安で、
1階に東大目指して10浪の男が住んでいて、あだ名が十郎で、
妹の他に弟が一人いて、その弟が小学校まで姉ちゃん二人の教育で女言葉使ってて、
高校のときの彼氏は不治の病で、入院先の病院から二人で駆け落ちして、
でもすぐ近くの公園で捕まって、それ以来二度と会ってないから生きてるか死んでるかもわからなくて、
社会人最初の彼氏はジムのインストラクターで、部屋に遊びに行ったときクスリ打たれて、
朦朧としたまま複数エッチ、つまり乱交?に及んでたらしくて、
その彼と別れたあと、妹と弟と三人でロシアに旅行に行って、
そのとき乗ったアエロフロートがやばくて、胴体着陸っぽくなってみんなでお祈りして着陸して、
帰国後、ナナ公が勤めていた代理店に入社してきて、ナナ公と知り合った。
1階に東大目指して10浪の男が住んでいて、あだ名が十郎で、
妹の他に弟が一人いて、その弟が小学校まで姉ちゃん二人の教育で女言葉使ってて、
高校のときの彼氏は不治の病で、入院先の病院から二人で駆け落ちして、
でもすぐ近くの公園で捕まって、それ以来二度と会ってないから生きてるか死んでるかもわからなくて、
社会人最初の彼氏はジムのインストラクターで、部屋に遊びに行ったときクスリ打たれて、
朦朧としたまま複数エッチ、つまり乱交?に及んでたらしくて、
その彼と別れたあと、妹と弟と三人でロシアに旅行に行って、
そのとき乗ったアエロフロートがやばくて、胴体着陸っぽくなってみんなでお祈りして着陸して、
帰国後、ナナ公が勤めていた代理店に入社してきて、ナナ公と知り合った。
確か当時彼女がつきあっていた彼のあだ名は「なぜなぜ坊や」だったよ。
すぐ「なんで?」「どうして?」って聞いてくるから。
すぐ「なんで?」「どうして?」って聞いてくるから。
帽子屋独立して代理店やめた後、浜田山から六本木に引っ越してアトリエ兼自宅マンション借りたんだけど、
そこもいわくつきの物件で激安で、
そのいわくつきってのが、お婆さんの大家さんが
「電話は絶対この電話つかってくれ。電話代は払うから」ってもので、
なんだか「行方不明の夫が、この電話番号しか知らないので、この電話ははずせない」っていう理由で、
しかもその部屋を前に借りていた人が、当時世間の噂の的だった新興宗教Oの関係者で、
時々ドアにものすごい落書きがされていたり、
なかなか激しい生活送っていたなあ。
そこもいわくつきの物件で激安で、
そのいわくつきってのが、お婆さんの大家さんが
「電話は絶対この電話つかってくれ。電話代は払うから」ってもので、
なんだか「行方不明の夫が、この電話番号しか知らないので、この電話ははずせない」っていう理由で、
しかもその部屋を前に借りていた人が、当時世間の噂の的だった新興宗教Oの関係者で、
時々ドアにものすごい落書きがされていたり、
なかなか激しい生活送っていたなあ。
元気かなあ?
ハット平田。
ハット平田。
なぜなぜ坊やと結婚してたら、平田でもないし、帽子屋やめてたら、ハットでもないけど、
彼女の当時のあだ名は、ハット平田でしたよ。下の名前は忘れた。
彼女の当時のあだ名は、ハット平田でしたよ。下の名前は忘れた。
万一このブログ読んでたら連絡おくれ。ナナ公ってあの、新聞部にいたナナ公ですよ。エヘ。