ライン 4―④
月曜日、由貴がぼくのクラスにきた。ドアのところから不安そうに教室をのぞく。
「小山くん、いますか?」
ぼくは、廊下に出た。ぼくと由貴なんて、一時は噂の中心の二人だったのに、今じゃこのツーショットを見ても、だれもそのことに気がつかない。
由貴がぴょこんと頭を下げた。
「パパのこと、ありがとうございました」
ぼくが、なんのことかわからずにきょとんとしていると、由貴が続けた。
「小山くんが、うちのパパのこと、小山くんのパパに話してくれたんでしょ。パパ、小山くんのパパの紹介してくれた会社で働けることになったの。パパ、すごく喜んでた。ほんとにありがとう」
そう言ったところで、授業開始のチャイムが鳴り出し、由貴はスカートをひるがえしてかけていった。
ぼくが教室に戻ると、こっちを見ている陽介と目があった。
その夜、悟とお父さんが大げんかした。原因は、由貴のお父さんの一件だ。
「なんで、あいつにそんなことしてやるんだよっ」
悟の怒声が居間に響いた。「お母さんを殺したんだぞっ」
「悟」答えたお父さんの声はしわがれている。
「お父さんもおんなじなんだ。お父さんも人をはねたことがあるんだ」
お父さんは、学生だった頃、車を運転していて、人をはねたことがあったんだ。
それは、真夜中のことで、相手は酔っ払いで、軽傷ですんだ。お父さんはそのことを「幸運にも」と言った。
「お母さんが事故にあったと聞いて、病院でお母さんを見て、あまりにも外傷がなくて・・・お父さんは、自分の罪の報いのような気がしたよ。そして、怒りや悲しみと同じくらい恐怖を感じたんだ。お父さんがはねた人は、ボンネットにのって、お父さんの目の前に、フロントガラスに、どん、とぶつかってきた。ハンドルの重い手ごたえと、その人の顔を思い出した」
「その人は、自分も悪かったから、と許してくれた。今のお父さんくらいの年の人だった。そうだ、小学生の子供のお父さんだったよ、その人は。うちのお母さんは・・・」
お父さんの声が擦れた。
「お母さんは、よくなかった。車道に飛び出したんだ。なんであんなに急いでたんだかわからない。そして、あの人は・・・お母さんをはねた人は、運が悪かった」
「お父さんは、お父さんはね、あの人を許したりはできないよ。でも、やれることはやってあげようと思った。人一人殺したんだ。人生は変わってしまっただろう。しかも、殺させられたんだよ。それでも、自分を責めるだろう」
「透と同じくらいの女の子がいたね。お葬式にきてたね。あの子はどうなるんだろう、と思った。あんなバイトで、どうするのかって・・・。まあ、お父さんの口利きくらいでは今どき、働かせてくれるところはないよ。いい人で・・・優秀な人なんだよ。印刷会社に入ったよ」
お父さんは、ぼくの顔を見て少し笑った。
「透、あの人はいい人だね。これで家族にも心配かけないで済みます、先のことをかんがえられるようになりました、って挨拶に来たよ。お父さんは・・・目もみれなかったけど・・・」
そのとき、突然悟が泣きだした。
「お母さんが・・・お母さんが死んだのはオレのせいだ・・・」
「あの日、透がプールがあるからって・・・学校に、オレの水泳帽もっていっちゃって・・・オレ、昼から友達とプールに行く約束してて・・・お母さんを責めちゃったんだ・・・」
「早く買ってきてよ、って・・・あと一時間くらいで行かなきゃいけないんだから・・・って・・・途中で買って行っても良かったんだ。お母さんはお金くれて・・・そうしてって言ったのに・・・お父さんのぜんそくも心配だから出かけたくないって」
「オレがだだこねたから・・・オレがお母さんを・・・」
「悟」
お父さんが悟を抱きしめた。
悟が泣きやんだのは、三十分後だった。
ぼくもちょっと、泣いた。
悟は、お父さんからそっと離れて、ソファーから立った。いつもの偉そうな兄貴の顔になっていた。
「勉強しなくちゃ。オレ受験生なんだぜ」
「小山くん、いますか?」
ぼくは、廊下に出た。ぼくと由貴なんて、一時は噂の中心の二人だったのに、今じゃこのツーショットを見ても、だれもそのことに気がつかない。
由貴がぴょこんと頭を下げた。
「パパのこと、ありがとうございました」
ぼくが、なんのことかわからずにきょとんとしていると、由貴が続けた。
「小山くんが、うちのパパのこと、小山くんのパパに話してくれたんでしょ。パパ、小山くんのパパの紹介してくれた会社で働けることになったの。パパ、すごく喜んでた。ほんとにありがとう」
そう言ったところで、授業開始のチャイムが鳴り出し、由貴はスカートをひるがえしてかけていった。
ぼくが教室に戻ると、こっちを見ている陽介と目があった。
その夜、悟とお父さんが大げんかした。原因は、由貴のお父さんの一件だ。
「なんで、あいつにそんなことしてやるんだよっ」
悟の怒声が居間に響いた。「お母さんを殺したんだぞっ」
「悟」答えたお父さんの声はしわがれている。
「お父さんもおんなじなんだ。お父さんも人をはねたことがあるんだ」
お父さんは、学生だった頃、車を運転していて、人をはねたことがあったんだ。
それは、真夜中のことで、相手は酔っ払いで、軽傷ですんだ。お父さんはそのことを「幸運にも」と言った。
「お母さんが事故にあったと聞いて、病院でお母さんを見て、あまりにも外傷がなくて・・・お父さんは、自分の罪の報いのような気がしたよ。そして、怒りや悲しみと同じくらい恐怖を感じたんだ。お父さんがはねた人は、ボンネットにのって、お父さんの目の前に、フロントガラスに、どん、とぶつかってきた。ハンドルの重い手ごたえと、その人の顔を思い出した」
「その人は、自分も悪かったから、と許してくれた。今のお父さんくらいの年の人だった。そうだ、小学生の子供のお父さんだったよ、その人は。うちのお母さんは・・・」
お父さんの声が擦れた。
「お母さんは、よくなかった。車道に飛び出したんだ。なんであんなに急いでたんだかわからない。そして、あの人は・・・お母さんをはねた人は、運が悪かった」
「お父さんは、お父さんはね、あの人を許したりはできないよ。でも、やれることはやってあげようと思った。人一人殺したんだ。人生は変わってしまっただろう。しかも、殺させられたんだよ。それでも、自分を責めるだろう」
「透と同じくらいの女の子がいたね。お葬式にきてたね。あの子はどうなるんだろう、と思った。あんなバイトで、どうするのかって・・・。まあ、お父さんの口利きくらいでは今どき、働かせてくれるところはないよ。いい人で・・・優秀な人なんだよ。印刷会社に入ったよ」
お父さんは、ぼくの顔を見て少し笑った。
「透、あの人はいい人だね。これで家族にも心配かけないで済みます、先のことをかんがえられるようになりました、って挨拶に来たよ。お父さんは・・・目もみれなかったけど・・・」
そのとき、突然悟が泣きだした。
「お母さんが・・・お母さんが死んだのはオレのせいだ・・・」
「あの日、透がプールがあるからって・・・学校に、オレの水泳帽もっていっちゃって・・・オレ、昼から友達とプールに行く約束してて・・・お母さんを責めちゃったんだ・・・」
「早く買ってきてよ、って・・・あと一時間くらいで行かなきゃいけないんだから・・・って・・・途中で買って行っても良かったんだ。お母さんはお金くれて・・・そうしてって言ったのに・・・お父さんのぜんそくも心配だから出かけたくないって」
「オレがだだこねたから・・・オレがお母さんを・・・」
「悟」
お父さんが悟を抱きしめた。
悟が泣きやんだのは、三十分後だった。
ぼくもちょっと、泣いた。
悟は、お父さんからそっと離れて、ソファーから立った。いつもの偉そうな兄貴の顔になっていた。
「勉強しなくちゃ。オレ受験生なんだぜ」