ナナ公の独り言

都内在住既婚会社員女の日記です

ライン 1-①

1 お母さんが死んだこと

 ぼくのお母さんが死んだのは、ぼくが小学三年生の夏休みの直前で、たぶんぼくはそのとき、水の中にいたんじゃないかと思う。

 教頭先生が、突然ぼくの教室に入ってきて、ぼくの名前を呼んだとき、ぼくのクラスは三時間目の学級会の最中で、夏休みの目標を席順にひとりずつ発表してた。
 ぼくは「二十五メートル泳げるようになる」って言おうと思ってた。
 だって、その前の授業は体育のプールだったし、ぼくは五メートルも泳げなかったんだ。もっと正確なところを言うと、いきつぎができなかったんだけど。だから「いきつぎができるようになる」とかいう目標でも良かったかもしれない。
 
 でも、ぼくはそのどっちも発表できなかった。ぼくの番がくる前に教頭先生はぼくを教室から連れ出して、その学級会が終わってる頃には、ぼくたちは市内で一番大きい病院の一室にいた。

 お母さんは白い布に顔を覆われて、その部屋のベッドに横たわっていた。ぼくが着くちょっと前に、緊急治療室からこの今いる部屋に移されたと、兄貴の悟が言った。ぼくはお母さんが死ぬときにまにあわなかった。
 ぼくだけじゃない。
 悟もお父さんもまにあわなかった。

 お母さんは、車にはねられて即死だった。つまり、あっというまだったってことだ。
 自分が死んだことにも気がつかないくらいだったてことだ。
 家から一分のところに、車がびゅんびゅん走る大きな街道があって、お母さんはそこではねられた。ぼくんちからは、その街道を越えなけりゃ、どこへも行けないのだ。
 駅も学校もスーパーマーケットも。たぶんお母さんは買い物に行こうとしたんだと思う。TシャツにGパンで化粧もしていなかった。
 道のはしに、お財布と家の鍵だけが入ったビニールの手さげが投げ出されていたそうだ。

 お母さんは横断歩道でないところを渡ろうとして、停車中のバスのかげからきた車にふっとばされた。
 ばかだなあ。
 ぼくや悟には、いっつも「歩道橋までまわりなさい」って言ってたのに。自分は横断歩道も使わないなんて。

 うちどころが悪かった、とお父さんや悟が言っているけど、ぼくはむしろ、うちどころが良かった、っていうほうが正解なんじゃないかと思った。
 お母さんは見たかんじ、とてもきれいだった。
 手も足もきちんとしているし、お医者さんがふいてくれたのかもしれないけど、どこも血で汚れていなかった。死んでいるなんて信じられない。

 ぼくはまだ、十才にもなっていなくて、お母さんが死んだことがよくわからなかったのかもしれない。最初は、眠っているのかと思った。
 いくら呼んでも起きてくれないのが、腹たった。
 お母さんいいかげんにしてよ。
 お母さんは、自分が車にはねられたことさえわからなかったかもしれないけど、ぼくもお母さんが車にはねられたことも、死んだこともわからなかったのだ。

 ふと気がつくと、悟とお父さんが、口争っていた。
「お父さんが、お母さんを殺したんだ」