ナナ公の独り言

都内在住既婚会社員女の日記です

ライン 1-②

 殺す、という単語にぼくはどきっとして、二人の顔を見た。
 教頭先生はとっくに帰っていて、部屋にはぼくと悟とお父さんの三人きりだった。いや、お母さんがいるから四人。小山家の家族だけだった。
 
 悟は中学一年生だ。四つ上の兄貴だ。お父さんは、新聞社に勤めるサラリーマン。けど新聞記者なんてかっこいいものじゃない。経理部で電卓をたたいている。ま、新聞社にもテレビ局にも警視庁にも、経理部はあるわけだ。
 お父さんとお母さんは、恋愛結婚で、学生結婚で、できちゃった結婚だった。できちゃったのは悟で、だから今年は結婚十三年目だった。悟もぼくも元気ないい子ってやつで、小山家は、この「どんどん悪くなる」世の中で、幸せな一家だったんだと思う。

 ぼくが驚いて見ているのに気がついた悟が言った。
「透、お父さんは、お母さんの心臓を人にあげちゃったんだ」
 悟がなにを言っているのかわからなかった。
「お父さんは、お母さんがまだ生きているのに、お母さんの体から、お母さんの心臓をとっちゃったんだ。お医者さんがお母さんの体から、心臓をとってもいいか?って聞いたとき、はいって答えたんだ。お母さんはまだ生きていたのに。お母さんの心臓はまだ動いていたのに」

 ぼくは、白い布の下にあるお母さんの体を思い浮かべた。ぼくはまだときどきお母さんとおふろに入る。あのおっぱいの下にあるはずの心臓。
 お母さんのおっぱいごと切りとられちゃったのかな。今、おっぱいのあったところには穴があいているのかな。
 気がついたら、ぼくは失神していた。

 失神というのは気絶することだ。気をうしなうことなのに、気がついたら失神してた、なんて変だけど、しかたない。
 ぼくが次に気がついたのは、自分の家の二階の、自分の部屋のベッドの中で、あたりは真っ暗だった。気絶している間、お母さんが生きたままおっぱいを、えぐられる恐ろしい想像の続きの中にいた。
 恐ろしい夢からさめたとき、ぼくは一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。そこが自分の部屋だとわかったとき、ほっとして全部夢だったんだと思った。
 安心して寝返りをうったとき、暗い中に人がいるのが見えた。悟だった。

 声を押し殺して泣いている悟の顔を見たとき、ぼくは、今日のことが全然夢なんかじゃないってことを思い出した。
 ぼくはベッドの上に体を起こした。

 悟が言うには、ぼくが病院に着く前、お母さんは意識はなかったけど、心臓は動いていたのだそうだ。お母さんの頭や体には、たくさん電気のコードがつながれていて、お医者さんは、コードの先のモニターを見ながら、
「脳が死んでしまったので、心臓が動くのをやめるのも、すぐです」
というようなことを、お父さんに言ったのだそうだ。するとお父さんが、
「妻は、ドナーに登録しています」
というようなことを言って、お医者さんは、お母さんから心臓を取り出すことになったのだそうだ。

 ドナー?
 はじめて聞く言葉だ。
 悟によると、ドナーになるということは、自分が死んだとき、自分の体の健康な部分を、必要な誰かにあげる約束をすることだそうだ。
 お母さんは、病気で死んだのではないから、体のどの部分もたいてい健康だった。
 心臓が健康でなくて、他の心臓をおおいそぎでほしがっている誰かがいたのだ。お父さんは、お母さんの心臓をその人にあげてしまった。

「お母さんはまだ生きていたのに。お母さんの心臓は、生きたままとられちゃったんだ」
悟は泣きながらぼくに話した。
 ぼくは、生きたまま。という言葉から、夢で見た真っ赤な血のこぼれおちるお母さんの胸を思い出した。
 
 突然猛烈に悲しくなった。ぼくは叫ぶように泣き出した。悟の泣き声も大きくなった。
 ぼくはベッドの上で。
 悟は床に身を投げ出して。
 
 ぼくたちは、気が狂ったように泣いた。絶対に手に入らないもの、もう戻ってはこないもののことで泣くのは、うまれてはじめてだった。信じられないほど苦しかった。
 お父さんは、たぶん下にいると思う。誰かよその人も来ているらしく、何人かの気配はしていた。
 が、誰も来なかった。