ナナ公の独り言

都内在住既婚会社員女の日記です

同窓会

高校のときのクラスメイトから同窓会のお知らせが回ってきたのは、
大学三年生のときだった。
 
堂々と飲酒できる年齢になったのを祝って(?)、駅前の居酒屋に集合した。
 
今振り返れば、出席率は高かった。
40人中30人は出席していた。
 
21歳の同窓会だから、なんとなく恋人探しの雰囲気も漂っていた。
 
高校時代はぱっとしなかった友人が、
一流大学にいっていたり、化粧のせいか見違えるほど美人になっていたりして、
一歩前に出てくるように感じ、驚いたものだ。
 
実は私もややその口で、大学に入り、化粧をはじめたらもてるようになった。
特に化粧の技術がうまかったわけでも、見違えるほど美人になったわけでもないが、
ニキビ肌をファンデーションで隠せたことが自信につながったのだろう。
また、成人式を迎えるころにはニキビもほとんどなくなっていた。
 
そして自信は人に輝きを与える・・・というのは大げさかもしれないが、
高校時代は地味なほうだった私も、
その日の同窓会はほどよくちやほやされ(男たちも女を口説くことに照れがなくなっている年齢だった)、
とても楽しかったのを覚えている。
 
大半は一流大学三流大学専門学校の差はあれ、学生だった。
そういう中くらいの学力の高校だったのだ。
中くらいだったので、就職している人間もいたし、すでに結婚している人間もいた。
なかには、すでに亡くなっている人間もいた。
 
そのころの私には(他の皆にも)、10代の死の本当の意味はわかっていなかった。
 
さて、同窓会の終盤、私は二人の男子と話していた。
横には女子がいて、なんとなく4人でかたまっていた。
この女子は同じクラス時代は仲の良いほうであったが、卒業してまで連絡を取り合う仲ではなく、
3年ぶりの再会だった。
男子二人のことはもうあまり記憶にない。
 
その女子は妊娠中だった。
 
なので、主に4人はその話題になりがちだった。
旦那はどんな人なのか?なれそめは?今何ヶ月?ラブラブ?
浮かれた質問だ。
なんといっても、同級生の妊娠(実は結婚も)私にも二人の男子にも初の経験だったのだ。
 
少し話題が途切れた後、女子は「実は・・・」と言い出した。
 
「この子、二人目なんだ」
 
えーっ!私たちは本当に驚いた。18歳で普通に卒業し、21歳の今、二人目の子供がお腹にいる。
正直、私にはありえないことだった。
ほろ酔いの頭でちやほやされて、健康な大学生の当時の私には、
結婚は人生の墓場、としか思えなかった。
20歳にしてもう恋愛できないなんて。今の恋で打ち止めだなんて。
まして母親になるなんて。
 
やがてお開きの時間になり、私はその子と店を後にした。
私はその足で彼氏の部屋に行く約束があり、二次会を断ったのを残念に思いながら歩いていた。
 
駅で別れるとき、彼女は言った。
「私ね、さっき見栄はっちゃったんだ」
 
 
「実は、この子、三人目なの」
 
ええーっ!と驚く私に手を振って、私は彼女と別れた。
 
 
それが今日から20年前の話。
 
 
今日はあれから20年ぶりの同窓会だった。
20年前の会場だった居酒屋はとっくになく、私たちはホテルのレストランに集合した。
 
出席者は6人。
 
忙しい年齢だというのは確かにある。時間が取れなくて欠席に○を付けるのは同窓会だけではない。
子供や親の介護などに、金のかかる年齢だ。会費が用意できないこともあるだろう。
 
連絡先がわからなくなっている人間も多かった。
また、連絡がついても、出席とも欠席とも言ってこない人間もいた。
 
リストラや離婚、病気。この年齢になればいろいろある。当たり前だ。
今の自分を、旧い友人に見られたくない。そう考える人間の中にも二通りだ。
もう二度と昔の知り合いとは会えない。もしくは、今はまだ昔の知り合いには会いたくない。
 
同窓会にこれる人間は幸せなのだ。 
成功している人間、あるいは、今の自分を誇れる人間なのだ。
 
亡くなっている者はさらに二人いた。
今ならわかる。10代での死の意味が。この人生が20年程度で終わっていたら、と考えるとぞっとする。
それと同時に、心のどこかでそれもありだったかも、と思う声もする。
同じく、80までは生きたいと思う声もする。
 
20年が経ち、死はずいぶん身近な存在になったが、まだ恐ろしいものだ。
まだ親しい友として迎えられる年齢ではない。
だが、その手をとりたい、と一度も思わない20年間をすごした仲間は少ないだろう。 
 
さて、6人の中には、あの日妊娠していた女子もいた。
 
彼女は言った。「実は、娘が結婚するの」
 
6人のなかにはまだ未婚の者もいた。去年子供が生まれたばかりの者もいた。
41歳とはそんな年齢なのだ。
 
皆、驚いてみせ、しかし、心の中ではそれほど驚くこともなく、口々にお祝いを言った。
彼女が20年前妊娠していたことを知らない(覚えていない)者もいたが、
40年以上も生きていると、若くして親になった人ともたくさん出会う。もう驚くようなことではない。
 
楽しいひと時は過ぎ、二次会の話は出ないままお開きとなり、私はまた彼女と二人きり駅にいた。
 
 
彼女は言った。
「私ね、さっき見栄はっちゃったんだ」
 
またか、と思う私に彼女は言った。
「本当は結婚するのは次女。長女はもう子供がいるの。私もう、おばあちゃんなんだ」
 
20年前はわからなかった。
なぜそのことが見栄になるのか。私は驚いて見送るだけだった。
 
今なら分かる。
苦労しているのだ。苦労していたのだ。子供の数を一人減らして話すことが見栄になるほど。
 
彼女は20年前と同じく手を振って、反対方向の電車に乗っていった。
 
 
楽しみだな。
 
私は思う。20年後の同窓会では、彼女はどんな見栄をはってくれるだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
「ナナ公のつくり話」の書庫、久々の更新です。 
もちろんこれはフィクションです。感想いただけると嬉しいです。